【論考】「メンタルモデル」は何故ややこしいのか?

こちらの記事は、Bootstrap@uxdesign.ccに寄稿した「Why are “Mental models” so complicated? | by Haruki Ishimaru | Sep, 2022 | Medium」の日本語原文を、加筆修正したものになります。

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我々UXデザイナーは、ユーザーの「メンタルモデル」を理解することが大事だと教わります。しかし、何もよくわからない状態で、この語句について調べても、いまいちその正体がはっきりとは見えてきません。あなたの先輩に尋ねてみても、何だか口ごもってばかりで何を言っているのかよくわかりません。

一体何故このようなことが起こっているのでしょうか?

その原因の一つに、様々な文脈で、ほんの少しずつ違った意味合いを持った状態なのに、同じ語句(=「メンタルモデル」)が引用されていることが挙げられます。ですので、ここでは、ぞれぞれの文脈での意味合いの違いを解説したいと思います。

1. 心理学・哲学における定義

私達を悩ませているこの「メンタルモデル」というこの語句は、もともと心理学の専門用語として定義されたものでした。まず、1943年にKenneth Craikというスコットランド人の哲学者/心理学者によって著された「The Nature of Explanation」という書籍で初登場したのです。

続いて1983年に、哲学者のPhilip Johnson-Lairdによって、「メンタルモデル」を書名に含む著作が刊行されました。「Mental Models: Toward a Cognitive Science of Language, Inference and Consciousnes」です。

また、同年、当時Bolt, Beranek and Newman, Incの社員であったDedre Gentnerと Albert L. Stevensの共著「Mental Models」も出版されました。奇しくも、出版時期は上記のPhilip Johnson-Lairdのものとほぼ同時期だったと言います。

この著書の中で、メンタルモデルは下記のように説明されています。

私たちが頭の中に持っている周囲の世界のイメージは、単なるモデルに過ぎない。頭の中で世界や政府、国のすべてを想像している人はいない。彼は、選択した概念とその間の関係だけを持ち、それを使って現実のシステムを表現している。

つまり、認識を行う主体がイメージする外界=客体の心理的なモデルをメンタルモデルと呼んだのです。このことから、当初は純粋に、人間の認知や推論の仕組みを理解するための枠組みとして、この語が定義されたことがわかります。

ただし、彼らに少し先立って、フランスの哲学者であるGeorges-Henri Luquetが1927年に著した「Le dessin enfantin (Children's drawings)」においても、児童が内的なモデルを構築するということ示唆しています。この考え方は、高名な児童心理学者 Jean Piagetにも影響を与えたと言われています。

このように、1943年(あるいは1927年)から1983年頃までは、「メンタルモデル」という語句は、認知心理学や哲学においてのみ用いられていました。そして、その状況を変えたのが、ご存知Donald Normanの登場と活躍ということになります。

2. HCI:Human-Computer Interactionにおける流用

勿体ぶった言い方をしてしまいましたが、先程名前を挙げたDonald Norman氏は、我々UX業界では頻繁に名前が引かれる人物であり、覚えておいて損はないでしょう。こと、この業界に限って言えば、変な喩えですが、Steve Jobsと同じぐらいか、もしかするとそれ以上に名前を聞く人物かもしれません。

また、2000年に「Don't Make Me think」を刊行した、UXの専門家であるSteve Krugの存在も大きかったでしょう。

彼らが主導した議論では、人間とコンピュータの相互作用やユーザビリティの問題が主たる焦点となっていました。その文脈において、人間がどのようにインターフェイスを認識し、操作し、フィードバックを受け取るかとということは非常に重要な問題となります。

こうして、ユーザーがインターフェイスに触れる前と後との思考の動きを観察することが、プロダクトのユーザビリティの把握や改善に重要な意味合いを持つことが発見されました。こうしたステップを踏まえて、私達は口酸っぱく、ユーザーのメンタルモデルを把握しなさいと言われるようになったということです。

これが、我々UX従事者が「メンタルモデル」を必修科目として学習しなければならなくなった理由です。

さて、ここで話が終わっていれば単純でした。

しかし、その概念の便利さが、ビジネス業界によって目をつけられたところから、話が少し思いも寄らない方向に行ってしまうのです。

3. ビジネス業界における転用(あるいは…盗用?)

注意していただきたいのですが、私はすべてのビジネスマンが盗賊だと言っているわけではありません。私がここで困らされているのは、たとえば、単なる「経営についての考え」を大げさに「経営哲学」だなんて言葉を当ててしまうような類のビジネスマンなのです。彼らは確かに名コピーライターです…。ただし、他者の混乱や困惑、もっといえば文化的盗用だなんて気にもとめない類のコピーライターですが。あるいは、誰も笑っていないオヤジギャグを言い放ち、誰からも注意してもらえない悲しい中年…というのはさすがに悪意がありすぎるかもしれません。

さて、Charlie Mungerがどんな類のビジネスマンであるかは皆様のご想像次第ですが、彼は「ビジネスや投資の意思決定のために複数の分野にまたがるメンタルモデルを使用することを広めた(popularized the use of multi-disciplinary mental models for making business and investment decisions.)」ということです。ですが、一人の人間が複数のメンタルモデルを意識的に切り替えることは、果たして可能なことなのでしょうか?認知心理学においては、「メンタルモデル」はそういったある種の「マインドセット」のようなものとしては捉えられていなかったのは先述のとおりです。

そして、恐らくはこの文脈上にあるであろう話として、最近では「イーロン・マスクジェフ・ベゾスのメンタルモデルで意思決定をしている」だなんていう不思議な話すら出てきました。

少なくとも、認知心理学においても、HCIにおいても、「ジェフ・ベゾスのメンタルモデルでUIをテストする」だなんてことは行われません。もしそんなことが必要であれば、ジェフ・ベゾス本人に頼んでUIをテストしてもらう以外に方法にはないことを知っているからです。そしてそれは、ジェフ・ベゾス専用プロダクト(ベゾス専用の単独航行大気圏離脱装置?)を開発しているとき以外には、ほとんど議論に上がりすらしないでしょう。

さて、この問題の解決は単純です。「イーロン・マスクジェフ・ベゾスのメンタルモデルで意思決定をしている」という文章を、「イーロン・マスクは、悩んだときには、ジェフ・ベゾスならどうするか考えるる」と正しく言い換えるだけで済むことなのです。

もっと言えば、誤解のないように語句を選択すべきでもあります。しかし、これは翻って、私たちUX従事者にとっても少しばかり耳の痛い話でもあります。私たちはしばしば、よく考えずにぱっと思いついた語句を、ボタンラベルに用いてしまい、ユーザーの不評を買うことがあるからです。私たちも悪意をもってそうしているのではないのですから、イーロン・マスクさんもきっと悪意を持って「メンタルモデル」という語句を選んでいるわけではないのでしょう。

まとめ:どの文脈の「メンタルモデル」か?

今まで見てきたように、メンタルモデルという語句が用いられる文脈は、大別すると3つあることがわかりました。あなたが読んでいる記事に出てきているメンタルモデルという語句が、あなたのイメージするそれと少し違うな?と思った際には、立ち止まって考えてみましょう。これは、認知心理学および推論・哲学上のそれか、HCIにおけるそれか、あるいはエスプリの効いたビジネスマンのそれなのか、と。これさえできれば、その記事を読む価値があるかどうかも、必然的に導き出されるはずです。